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人っていったい何だろうな [日記]

ノーベル文学賞を日系イギリス人のKazuo Ishiguro 氏が受賞した
彼の小説の中で「私を離さないで」と言う作品がある
映画化され日本でもドラマ化された
(日本のドラマは知らない)
臓器移植に関する内容であったと記憶している
まぁ小説の内容については小説を読んでいただく他ないが
小説の内容から少し脱線したことを考えてみた事がある
仮に人のクローニングに成功し社会的にも認知された場合
自分自身の臓器供給のために自分のクローンを使うのが適合と言う意味では最適ではないかと言うのは
これは理にかなった話ではある
倫理的にはアレだが自分自身のスペアがあるに越したことはない
ただクローンとして生まれた人間は遺伝子提供者と同じかと言えば違う固体になる
遺伝的に同じであって人格としては別物
同じ容姿になるかと言えば微妙な線でもある
同じ成長過程(食生活・運動量等)を踏めばかなり近い容姿になるだろうがやはり違いが出てくるだろう
だが偶然が重なり同じ容姿になったと仮定する
自分の配偶者や恋人が臓器提供を受ける前に他界してしまったとして
偶然にも同じ容姿で遺伝的にも同じ人間がいたとしたら
しかも人格を操作でるとしたら・・・
残された人はどうするだろう

生物学的に言う人とは成長過程で形成された人格を詰め込んだ入れ物なのかもしれない
そもそも人格とは経験や知識などで構成されるのだと思う
個体によっては生まれ持った性格と言うのもある
遺伝子が生まれ持った性格を形成するのであれば同じような経験や知識を有すれば近い個体は出来上がるし人格をコントロールする技術があれば似たような人間が出来上がる

その時に人は失った者を取り戻そうとするのだろうか
それともかなり近い個体を代替品としようとするのだろうか
無論これは残された者のエゴだと思うが

では仮に取り戻すためや代替品として手に入れたとして
同じ記憶がないという事と恋愛感情的な部分をクリアできるかと言うのもネックにになるんだろうな

恋愛感情的に部分をクリアしたとして同じ記憶を持っていないことで違和感を感じた時
まるで同じ容姿や性格の個体に対してどのような行動に出るのだろうか
時に人は狂気に取りつかれることもあるのだ
よく考えれば臓器提供のため作られた個体が社会的に人間として認められるはずがない
法的に人間として認められていないのなら仮に抹殺しても殺人にはならないのだから

こう言ったネガティブな結末だけを考えているわけではないが
きれいな話だけではないという事だということだ
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